
幼少期を母子家庭で過ごした4人兄弟の長女として育ち、早くから家庭を支える責任感を身につける。23歳で結婚、翌年に出産を経験するも、26歳で離婚。20歳から生命保険の営業職として6年間勤務し、多くの家庭と向き合う中でお金や人生設計の大切さを実感。その後、ファイナンシャルプランナーとして独立し、現在は年間約130世帯の相談を受けながら、一人ひとりに寄り添ったライフプランの提案を行っている。
保有資格:ファイナンシャルプランナー2級、節約生活スペシャリスト、公的保険アドバイザー

小さな頃から、母の苦労を間近で見て育ちました。
父の女癖の悪さや姑の厳しさに耐え、誰にも言えず泣く母の姿を、幼い私はそばで見ていました。子供ながらにその原因が父と祖母にあることを理解し、私にとって彼らは敵のような存在でした。
父は子供には優しく「良い父」でしたが、母を苦しめる姿を見るたび、心の奥で反発を感じていました。
そんなある日、小学生の私は母に向かって「ママ、離婚しなよ」と伝えました。
母を守りたい、その一心でした。
家庭の中で感じた痛みや葛藤を通して、人が本当に幸せに生きるためには、自分らしくいられる環境が必要だと学びました。

母の支えによって、私は「自分の道を選ぶ強さ」を得ました。
どんなに苦しい状況でも、母は私の願いを否定せず、常に応援してくれました。「部活をもっと頑張りたい」「この道具がほしい」「高校は私立に行きたい」──どんな希望にも耳を傾け、実現のために努力してくれたのです。
母は自分のことよりも私たち子どもの思いを大切にし、経済的にも決して楽ではなかったはずなのに、決して「無理」とは言いませんでした。
その姿を見て、私は「やりたい」と素直に言えることの大切さ、そしてその選択を信じて進む勇気を学びました。
母の愛情と覚悟が、私の中に「自分で人生を切り開く力」を育ててくれたのだと思います。今でも迷いそうになる時、あの頃の母の姿を思い出すことで、自分の選択を信じ、前に進むことができています。

モラハラ、無言の支配、感情の壁──日々の生活の中で、私は次第に笑えなくなっていきました。「このままでは自分を失ってしまう」「子どもの前で、顔色を伺いながら生きる母でいたくない」そう強く感じるようになりました。
それでも私は、自分の人生をあきらめませんでした。人は誰しも幸せになるために生まれてきた。だからこそ、私は子どもに伝えたかったのです。「ママは幸せになる決断をした」「あなたも将来、どんなに悩むことがあっても、”幸せになること”を選んでいい」と。
そして私自身もまた、その言葉を体現するように「離婚」を選びました。痛みを伴う決断ではありましたが、それは逃げではなく、自分と子どもの未来を守るための「新しい人生への第一歩」でした。

離婚したからといって失敗ではありません。シングルになったからといって、不幸でもありません。大切なのは、誰かの期待に応えることではなく、自分の心に正直でいられるかどうか。
たとえ誰かをがっかりさせる選択だったとしても、自分自身を裏切らなければ、それは間違いではないと思っています。
私もかつて、たくさんの葛藤や不安を抱えながら「自分らしく生きる」という選択をしました。
その経験を通して気づいたのは、幸せは“形”ではなく“心の在り方”だということです。だから今は、自分の人生を取り戻そうとする方々に寄り添い、同じ悩みを抱える人たちが「私の人生、間違ってなかった」と心から思える未来を共に創るサポートをしています。
